『日本語動詞述語の構造』(丹羽 一彌 著)という本です。
(2005年の本なのに、出版社のサイトの「書籍検索」で出てこないって、どういうことだよ)
まだ読み始めたばかりですが、最近自分が考えていたのと同じく、「動ける」の「け(ke)」の「e」の部分を可能を表す形態素とみなしています。
また、「φ」という記号を使って「ないものがある」という風に考えてもいるようです(こっちはまだちゃんと読んでみないと、自分と同じかどうかはっきりしたことは言えないんですが)。
(「φ」って、集合論での空集合の記号でしたっけ?)
ただ、違うところもあって、たとえば「動く」等の五段動詞の語幹を「kak」までとしています。自分も初めそう考えましたし、これは最近ではほぼ合意を見ている考えらしいのですが、自分は「ちょっと待った」と言いたい。
「語幹」というのは
用言の活用語尾を取り除いた変化しない部分
を言うわけですが、「書いて」では
書いて kaite
と「kak」の後ろの「k」はなくなっています。
「書いて」は元々「書きて」だったのが音便化して「書いて」になったものですが、もし「kak」までが語幹なら、語幹は「変化しない部分」なのだから、音便化で「k」がなくなってしまうのはおかしいでしょう。「変化しないのが語幹じゃなかったのかよ」と言いたくなります。
そう考えたからこそ、自分は後で訂正したわけです。
この本では「kak」のように子音までで切って語幹とする理由について、「そうすれば活用語尾は、五段活用なら何行でも『a i u u e e』に統一され、一種類になって簡素化される」「また子音までで語幹とすれば語幹だけでその語の意味が分かる」というように説明されているようです(まだちゃんと読んでないので今のところの自分の解釈では、ですが)。
確かに、「統一されて簡素化する」のはできればそうあって欲しいと思いますが、上記の理由から無理だと思います。
また、「語幹だけで語の意味が分かる」というのは、ちょっと「正気ですか?」と聞きたくなってしまう。「書く」と「掻く」の語幹は両方とも「kak」なんですが...。こんなのいくらでもあると思うんですけど。
とは言え、可能動詞の「e」は形態素だ、とはっきり言ってくれて嬉しかったのでちゃんと読んでみようと思います。
ちなみに、他の本でもそうですが、「なぜ五段動詞が下一段化すると可能の意味になるのか」「『eる』は一体どこから来たのか」についての説明はないようです。この本では単に「e」を「接辞」と呼んで済ませているように見えます。
確かに「接辞」なら語幹に直接ついても不都合はなさそうに見えますが、では後ろの「る」は何なのか?「e」とは別の語なのか?それとも「eる」で一語なのか?一語だとすれば、これは活用する語ということになるが、「接辞」は活用するのか?
と、個人的には疑問ばりばりです。
まぁ、最後まで読んでみよう。
【関連する記事】