予想どおり、考え足りなかったです。
まず、やっぱり一段動詞の語幹は「助ける」なら「たすけ」までで「たすけr」ではない。
もし「たすけr」が語幹なら、「...しうる」のパターンは「助けるる」になることになってしまう。
次に、「eる・aれる」の語幹も最後の「r」はつかない。理由はこれも下一段の活用と同じだから。
さらに、「動ける」は五段動詞「動く」の語幹「うごk」に可能の助動詞「eる」がついたものだと言いましたが、色々考えた結果、「助動詞が動詞の語幹に直接つく」というのはマズいという結論に達しました。
(そういう風に説明してる本もあったりするんですが)。
「助動詞が動詞の語幹に直接つく」と言ってしまうと、「じゃあ、活用語尾というものはいらんのか」という話になりますが、やっぱりそうは行きませんので、むしろ逆に「活用語尾はあるのだが、見えない/聞こえないだけだ」「無音の活用語尾があるのだ」という風に考えた方が矛盾がなくなります。数学のゼロみたいなもんです。辞書などの活用表を見ると一段動詞の未然形や連用形は活用語尾が「○」になっていたりしますが、あれは「まる」じゃなくて「ゼロ」なのかもしれません。ないものがある、と。
ついでに言うと、「動く」の語幹も「うごk」ではなく、従来どおり、「うご」までだと考えた方が自然かもしれません。
ただ、「動けない」が持つ可能の意味を担っているのが、「け(ke)」の部分の「e」だ、というのは間違っていないと思います。そういう意味では、かな漢字変換エンジンはいいとしても、形態素解析エンジンの mecab とその辞書である ipadic が「動ける」を一語の一段動詞としていること、この「e」の部分を検出しないことは、ちょっと問題なのではないかという気がします。
つまり、この「e」の部分も形態素なんじゃないかと。
<追記>
どうもそもそも国文法が「動ける」等を(可能動詞という)一語の一段動詞としてるらしいです。
それはまぁどうでもいいですが、「じゃあ、『動ける』に可能の意味があるのはどう考えたら説明がつくのか」という元々の疑問ですが、今のところこう考えてます。
五段動詞の場合は、
1. 元は「動く」に補助動詞「...し得る」がついたもので、「動きえる」だった
(「得る」は単独の動詞としては「手に入れる」というような意味ですが、「...し得る」と補助動詞になると可能の意味になる。ただ、補助動詞と見るべきなのか、助動詞と見るべきなのかはよく分かりません)
2. 「きえ」の部分が、「きえ(kie)」 → 「きぇ(kye)」 → 「け(ke)」と音変化して「け」になった
つまり、強いて言えば、「け(ke)」のうちの「k」の部分が活用語尾で、「e」の部分が可能の補助動詞という風に、補助動詞が活用語尾とくっついてしまったわけです。
音便という別の法則によって変化してしまったために、文法的には説明のつかない困った事態が生じてしまった、というところでしょうか。
似たようなことは「動こう」の「う」の場合にもあります。
本来なら「う」は未然形につくので「動かう」になる(昔は実際こう書いてたわけですが。「しませう」とかね)のに、「かう」が音便化して「こう」になったために、「四段活用」と言えなくなり、しかたなく「五段活用」と呼ぶことにしたんだと思います。
しかし、音便で変化したからといって、文法の方を変えてしまうのはどうかと思うんですがね。
ただ、まだまだ考え不足調査不足で、自信はまったくありません。
今のところこうではないかと考えてる、というだけです。
「られる」の方はまだほとんど考えてないし...
...つーか、何か、ハマったか?俺。
<追記>
いわゆる可能動詞(「動ける」等)の「eる」は助動詞「れる・られる」とは違うと考えた方が良さそうだ。
「れる・られる」は古語の「る・らる」から来てると思うが、「eる」はそうは思えない。やはり「...し得る」なんじゃないかという気がする。
いわゆる「ラ抜き言葉」もやはり「ラ」を抜いてるんじゃないと思う。
可能を表す場合、五段動詞は「eる」をつけるが、一段動詞は「られる」をつけるというのが普通だったが、一段動詞にも「eる」を使うのが「助けれる」とかのいわゆる「ラ抜き言葉」なんじゃないかと思う。
その際、五段動詞の場合は活用語尾と「eる」が音便化してくっついたが、一段動詞の場合は、
助け + eる
の「kee」の部分は、
・「け」が語幹である、つまり変更できないこと
・下一段の場合は、結合してしまうと「助ける」と元の動詞と同じになってしまうこと
から五段動詞のように結合させることができず、逆に「r」を補って
助け + r + eる (助けれる)
となったのではないかと思う。つまりこれも音便化だと。
何で「r」を補うかは「助けえる」を口に出して言ってみると分かる。
「助けえる」と「助けれる」は音的に非常に近い。
上一段でも同じようにして、「起きれる」なら
起き + eる
の「kie」は、「動きえる」の「kie」と同じ音だが
・「き」は語幹である
・「ける」にしてしまうと「おける」となって違う語の音になってしまう
ことから、結合させることができず、逆に「r」を補って
起き + r + eる (起きれる)
となったのではないかと思う。
要するに、「eる」が「...し得る」由来の語で「れる・られる」とは別物だとすれば、「助けれる」「起きれる」は「一段動詞にも『eる』を使ったパターン」なのであって、別に「助けられる」「起きられる」から「ラ」を抜いた形なのではないのではないかと思うわけです。
でもねぇ、「じゃ、『ありえない』は何で音便化しないんだ?」とか反論はいくらでもできそうなんですよねぇ...
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